記事を開いて下さりありがとうございます!
この記事では
かつて1000円の商品を1つも売れなかった僕が
けいのアカウントで発信を開始してから・・・
・発信開始から3日でBrain総合ランク3位を獲得
・4カ月間でオリジナルコンテンツを300部販売
・顔も声も出さずに発信開始5か月目に月収100万円を突破
した秘密についてお話していきます。
もしあなたが今
『残業や育児で忙しくて副業の時間が取れない』
という悩みを抱えているとしたら安心して下さい。
効率的に結果が出る戦略を練り実行できれば
限られた作業時間の中でスピード感を持って目標収入を手に入れることは可能です。
この記事では僕の過去の話を交えながら
あなたがコンテンツビジネスで効率的に結果を出す方法を
お伝えしていこうと思っています。
初めまして!
コンテンツビジネスに取り組んでいる
けいと申します。
僕は一ヶ月かけて必死で作った商品を
ココナラで販売したのに1つも売れない!
という闇歴史を経験後、
あるきっかけによって
一気に結果が出るようになりました。
次に作った商品では
販売開始からたった5週間の間に
日収5.8万円、6.4万円を次々に達成。
(顔出しなし匿名です)
その後も新商品を販売して
ほぼほったらかしにも関わらず
月間売上24.4万円を達成。
朝起きたら2万円の商品の販売通知が届いていたり。
家族で散歩している間に6.4万円を稼いでいた。
といった経験もしました。
『家族や親友にも自信を持って売れる商品を作る』
ことを意識していて商品の品質にはこだわっています。
大変ありがたいことに購入頂いた方からは
熱のこもったレビューを多数頂いています。
その後、次のステップとして
コンテンツビジネスを教えるようになりました。
2022年6月にBrainにて
という商品をリリースすると同時に
けいのアカウントでの発信を開始。
他の人のtweetを見るために
Xのアカウント自体はもってました。
しかし当時のフォロワーは60人。
影響力0の超弱小アカウントとして
いきなり商品を販売したのですが・・・
総合ランキングで3位を獲得しました。
伴走ライティングに対しても
このような熱いレビューを多数頂いています。
こうしたレビューを頂けるのもやりがいの一つですが
一番嬉しい瞬間は成果報告を頂いた時です。
こうしたご報告を頂いた時には
心の奥底が熱くなり大きな喜びを感じます。
僕のコンテンツをきっかけに良い変化が起きたということは
ほんのわずかかもしれませんが
『その方の人生をサポートできた』
ということなのかなと考えています。
僕は元々サポートが好きな人間なのですが、
会社の仕事のサポートというレベルではなく
人の人生のサポートができることは
今僕にとっての一番大きなやりがいです。
(生きがいの1つと言った方がふさわしいかもしれません)
その後もBrainでは複数の商品を出品して
4カ月間で累計300部以上を販売。
そして発信開始5カ月目に
新商品を販売して月収100万円を突破。
現在は3歳になった息子の子育てもしながら
副業としてコンテンツビジネスに取り組んでいます。
確保できる作業時間は少ない現状なので
あれもこれも手を出すのが難しい状況です。
月商100万円を達成した時も
Xはほぼノータッチで
ブログ記事もほとんど書いていませんでした。
それでもスピード感を持って実績を積み上げられるのは
少ない作業量で効率よく稼ぐ効率化戦略
を採用しているからなんですね。
僕と同じように確保できる時間が限られる人へ
効率的に稼ぐコンテンツビジネスの戦略を
お伝えしていきたいと思っています。
ここからは
なぜ僕がコンテンツビジネスに取り組んでいるのか?
について簡単にお話させてください。
もちろんまずは自分のためです。
僕は
『もし明日死ぬとしたら後悔はある?』
と聞かれた時に
『後悔なんて1つも無い。最高の人生だよ!』
と笑顔で即答できるような人生を送っていきたいです。
人生の中でやりたいことの中には
妻と子供と日本中を歩いて旅をしたり、
日本中の山を登りつくすなど、
・金銭的な自由
・時間的な自由
を手に入れなければ実現できないものが多数含まれています。
コンテンツビジネスは必要経費も少なくて
リスクはほぼないですが
金銭面でのリターンは上限なく大きくできますし
自動化できる部分も多く時間的な自由も得られます。
これまで
FX、不動産賃貸業、物販など
色々な副業に取り組んできました。
色々取り組んだ経験を踏まえて
・金銭的自由
・時間的自由
を手に入れる最高の手段は
コンテンツビジネスだと確信しています。
そしてもう1つは
親友の衝撃的な一言をきっかけに
コンテンツビジネスによって実現したいこと
ができたからです。
これはお金や時間というよりも
精神面に関わることなので、
僕はコンテンツビジネスを通じて
お金・時間・精神の自由と充実の実現を目指しているわけですね。
コンテンツビジネスによって実現したいことの詳細は
記事の後半にご紹介しますが
『今少しずつ実現したいことが形にできてきている』
と感じています。
ここまで読んで下さりありがとうございます。
さて、そろそろ記事の本題に入っていきますが、
この記事の中では
ココナラで1000円の商品を1つも売れない闇歴史の後
一気に日収5.8万円、6.4万円を稼げるようになった理由。
・けいの発信開始から3日でBrain総合ランク3位を獲得
・4カ月間でオリジナルコンテンツを累計300部を販売。
・発信開始5か月目に月収100万円を突破
した秘密をお話していきます。
闇歴史の後は比較的スピード感を持って実績を積み上げることができているので、
『闇歴史の後に一体なにが起きたの?』
ということはよく聞かれます。
あなたも今同じ疑問を感じているかもしれません。
この記事を最後まで読んで頂いた時には
その疑問はすっきり解決しているはずなので楽しみにしていてください。
この記事は以下のような方に向けて書いています。
・子育てで作業時間がとれないけど副業したい
・残業ばかりで身体も心も限界。自分で稼ぐ力をみにつけて会社依存から脱却したい
・自分がコンテンツ販売できるのかな?と自信が持てない
・どうすれば目標金額を稼げるようになるかわからない
・初心者だけど1からコンテンツビジネスを学びたい
・仕組み化に取り組んだけれど大変すぎて諦めた
・0➡1は突破したけど伸び悩んでいる
・ブログを継続しているけどマネタイズできてない
この中にあてはまるものが1つでもあるならば
この記事はあなたの人生を良い方向に変えるきっかけになるはずです。
ぜひ最後まで楽しみながら読んでもらえたら嬉しいです。
それでは・・・
ここから本編スタートです!
- 将来不安すぎる落ちこぼれと今に繋がる転機
- 入学早々に卒業したいと思った中学時代
- 大自然に魅了されやりがいを見つけた高校時代
- 自由を満喫しまくった大学時代
- 『一番使えねえな!』と切り捨てられた新人
- 会社滞在時間17時間。社畜生活と衝撃の〇〇
- 人生は有限。いつ終わるかわからないと知る悲しい出来事
- FXで〇〇〇万円を失う大失敗と謎のポジティブ思考
- 結婚と副業に関する致命的な問題点
- 月500万円を自動で稼ぐ!?意味不明なブログとの出会い
- 怪しい投資話に乗り再びの失敗
- 子供の誕生と価値観の激変
- 『夢なんてないよ。このまま我慢して死ぬだけなんだから』
- 人生を変える偶然の出会い
- メンターから月収2000万円マインドを学ぶ
- 学びを経て再度ココナラで販売してみたら待っていた衝撃的な激変!
- 誠実に自由を手に入れる
将来不安すぎる落ちこぼれと今に繋がる転機
僕は姉と妹に挟まれた長男として誕生しました。
三人兄弟だったので
毎日の食卓はまるで動物園のような賑やかさ。
その中でも特にワンパクだった僕は
九九算の七の段が苦手で
カンニングして暗記テストをなんとかクリア。
『宿題?何それ?』と宿題そっちのけで
友達と遊びほうけてテストの成績は悪い。
将来が不安すぎる小学校低学年を過ごします。
そんな僕に転機が訪れたのは
小4に上がる時でした。
父方の祖父母と母方の祖父母と
同じマンションで暮らすことになり・・・
父方の祖父母とは一つ屋根の下で。
母方の祖父母とは同じマンションの別の部屋で
暮らすようになったのです。
これまでの家族5人での生活が一変しました。
同居する父方の祖父は厳しい性格で、
祖母や母に厳しい罵声をぶつける生活が始まりました。
子供達3人は祖父に怒られるのが怖くて
動物園のように賑やかだった食卓は
シーンと静まり返った沈黙の食卓に劇変。
僕はなるべく早く食べ終えて
一秒でも早く自分の部屋に戻ることだけ
食事中考えるようになりました。
そんなある日。
椅子に座っている母の後ろを通った時のことです。
僕はギョッと目を疑いました。
母の頭に10円ハゲができているのを見つけたのです。
同居のストレスが一番大きかったのは母でした。
母は誰にも相談できず一人追い込まれていたのです。
ショックでした。
そして母の辛さなんて一切考えず
自分のことしか考えていない自分を責めました。
この時僕が決めたのは
『母が辛いことを忘れるくらい僕が母を喜ばせる!』
ということでした。
それから週2~4くらいのペースで
夕食後に母にドライブに連れて行ってもらって
母の話を聞いたりおちゃらけて笑わせるようになりました。
ドライブしている時には
『お金がない』
という話を母からよく聞きました。
友達が水泳や塾に通う中、
僕たち兄弟は習い事の経験がありませんでした。
本当は友達と同じように
習い事に通ってみたかったです。
『でもお金がないからそんなこと言っちゃダメだ』
と我慢するのが当たり前になっていました。
一方。
同じマンションの別の部屋に住む
母方の祖父母は仲が良く、
母と子供達にとっては癒しの存在。
頻繁に家に遊びに行っていました。
祖母は病気で自由に動けませんでしたが、
祖父が献身的に支えていて
いつも二人は笑顔で楽しそうでした。
『自分も将来祖父のような旦那さんになって、
奥さんと仲良く笑顔で暮らしたい』
こんな想いを持つようになったのは
間違いなく母方の祖父の影響です。
祖父は言葉の好きな人でした。
俳句のコミュニティを運営して講師をしたり
自費出版で本を出したりもしていました。
実は父方の祖母は同居するようになってから
心を病んで入院していた時期があります。
退院してから父方の祖母は
母方の祖父の俳句コミュニティに参加し始めて
凄く楽しそうに俳句を作るようになりました。
他の人の人生に良い影響を与える母方の祖父は
僕にとって憧れの存在でした。
『大人になったら我慢をしないといけない』
『お金がないから習い事とかは我慢するのが当たり前』
『将来結婚したら笑顔あふれる楽しい家庭を築きたい』
『夫婦仲良く支え合う夫婦になりたい』
『他の人の人生に良い影響を与える人になりたい』
このような価値観を持った僕は中学生になりました。
入学早々に卒業したいと思った中学時代
ヤンキーがいて荒れてる学年だったので
学年主任が厳しく細々と指示をしてきました。
わかりきったことを細かく指示される
この束縛される不自由な中学校生活は
僕にとってその頃一番大きなストレスでした。
『自由にやらせてくれ!』と感じた僕は
中学入学早々に高校生活に想いを馳せるようになります(笑)
高校一覧を読んでいると
制服なし校則なし自主自律を謳う高校を発見。
『自由な高校が良い』と思っていた僕にとって
物凄く魅力的な高校でしたが
その高校は県内御三家と称される高校でした。
僕はそんな高校を目指せる学力はありませんでした。
なぜなら最初の試験では240人中109位という何とも言えないビミョーな成績です。
気のせいだったかもしれませんが、
試験の結果を見せた時に母がちょっと悲しい顔をした気がしました。
この母の顔を見た時に
『母が辛いことを忘れるくらい僕が母を喜ばせる!』
という小学校の時に決めた自分との約束に反してしまったと感じました。
その時にこれじゃダメだと思ったんですね。
それから生活を変えました。
毎日4時半に起きて朝勉。
その後7時過ぎから野球部の朝練。
放課後の練習を終えて22時半に就寝。
部活の休みの日は一日中勉強。
このような真面目を絵にかいたような生活を始めました。
人よりも理解が遅く成績が上がるのにも時間がかかりましたが、
必死で努力を続けると少しずつ成績は上がっていきました。
しかし。
三年生に上がる時になっても
どうしても数学だけ苦手を克服できませんでした。
このままだと第一志望合格は不可能です。
その頃には母方の祖母の病状も悪化してきて
入退院を繰り返すようになっていたこともあり
『母と祖母を喜ばせたい・・・!』
僕はその一心から母に禁断の相談をすることにしました。
『どうしても第一志望に合格したいです。
でも自分の力では数学の成績を上げることができません。
お金がかかってしまうのですが・・・
一年間だけ塾に通わせて下さい・・・。』
僕の中で守り続けてきた
お金がないから我慢という価値観に反する相談です。
そんな相談をするのは初めてだったので母は驚いていました。
しかし何とか家計をやりくりしてくれ、
僕は自分で選んだ【友達が一人もいない隣駅の塾】
に通えることになりました。
塾の先生の言うことを実直に守り努力した結果
卒業直前には数学も得意になり学年順位は5位まで上昇。
無事に第一志望の県内御三家にも合格しました。
中学時代には
『束縛は嫌いで自由に生きたい』
『ガムシャラに努力をすれば夢は叶う』
という価値観が僕の中に追加されたのでした。
大自然に魅了されやりがいを見つけた高校時代
高校では中学に引き続き野球部に入る気満々でしたが、
とあるミスで野球部に入り損ねてしまいます。
『うわー・・・どうするよ?』
と思っていた時に同じクラスの男子3人に誘われて
山岳部に入部することになりました。
夏休みに20キロ近くあるザックを担いで
三泊四日でいくつもの山を渡り歩き
山そして自然の雄大さに魅了された僕は
めちゃくちゃ山好きになります。
『将来は日本中の山を登ってみたい!』
そんな夢を持つようにもなりました。
そうして高校生活を楽しんでいたある日。
母方の祖母が亡くなりました。
祖母の死後、
祖父は亡き祖母に向けた俳句や短歌を作り続けました。
その心のこもった言葉達は数冊の本になり
読む度に僕は泣いてしまいます。
今では僕の家の本棚に大切に飾っている宝物ですし
僕の文章は祖父の文章の影響を受けています。
一人の女性を愛し続け、
言葉で自分の想いを表現し人の心を動かす祖父。
僕は祖父のことをめちゃくちゃカッコ良い!
と誇りに思い尊敬してきました。
そのまま一年生の冬が近づいてきた頃。
僕は野球がやりたくてうずうずしてきました(笑)
同じクラスの仲良しの野球部員に相談して
監督に紹介してもらい入部を直談判。
なんとか認めてもらえました。
仲間と同じ方向を向いて
一緒に切磋琢磨する環境は
僕にとって最高に楽しい環境でした。
自分はチームプレーが好きなんだと強く感じる
今でも宝物のような野球部生活でした。
自由を満喫しまくった大学時代
東京六大学の某私大の法学部に進学した僕は
高校で野球には満足しきっていたので、
『次は個人でどこまでできるんだろう?』
を試したいと思いました。
そしてとある個人競技のサークルに入ります。
(マイナーな競技で名前がバレそうなので競技名は伏せます(笑))
めちゃくちゃ楽しくて
大学の講義にはほぼ出ず練習ばかりしてたら
新人インカレにも出場できました。
しかしその後は伸び悩みます。
その頃に気づいたことがありました。
『個人競技始めてみたけど・・・
自分って個人の勝利には全く興味が無いな』
ということです(笑)
その後1年生の2月頃に
団体戦が開催され応援に行きました。
会場ではサークルの全員が一喜一憂。
『うおお、この雰囲気最高!』
と感動し魅了されました。
『やっぱり自分は仲間と共に同じ目標へ向かっていく一体感が好きなんだなぁ』
と気づかされる経験でした。
大学時代はサークル以外にも自由を謳歌。
4年続けた自然食レストランのキッチンのバイトで料理の楽しさを知りました。
また、高校野球部の仲良しの同期と2人で日本各地を旅しました。
旅に出るたびに自分の知る世界の狭さを知り、
歩きながら巡る日本各地の絶景に心が揺さぶられ感動。
『いつか日本全国を歩いて旅したい!!!』
そんな夢を持つようにもなりました。
また、この頃にmixiが流行っていて
日記をよく書いていました。
サークルでは副部長になりましたが、
人前で目立つのは得意なタイプではなかったので
日記の文章で想いを伝えたいと思いました。
日記を毎回楽しみに待ってくれて
コメントをしてくれるメンバーがいたり、
『やる気出ました!』と練習に励む後輩もいたり、
時には感動して泣いてくれる人もいました。
僕は口下手ですし人前で目立つタイプではないので
自分の言葉によって人が行動したり人の感情が動くなんて
それまでほとんど経験したことがありませんでした。
そんな自分にとってmixiの日記の経験は大きくて
『文章って凄いなぁ・・・』
と言葉の持つ偉大な力を知りました。
このmixiの経験もあり
僕は文章を書くことが好きになりました。
楽しい時間はあっという間に過ぎ就活の時期に。
小学生時代に培われた
『大人になったら我慢しないといけない』
という価値観はこの時もまだ持ってました。
でも自由を謳歌した大学生活が最高すぎて
就職してから先の人生を我慢し続けるなんてまっぴらごめんでした。
そのため会社選びの時には
忙しいと言われる企業は受けませんでした。
給料はそこそこで残業が少なく休みも取りやすい。
まったりプライベートを充実できる働きやすさを一番重視した
不純な就職活動をしました(笑)
これからはITの時代だと思っていたこと。
そして説明会で
『チームプレーだよ』
という言葉を聞いて向いていると思ったこと。
主にこの2つの理由から
IT企業への就職を目指すようになり、
内定した第一志望の企業にて
激動の社会人生活が始まりました。
『一番使えねえな!』と切り捨てられた新人
『配属された新人の中で一番使えねえな!』
社会人生活は先輩の怒号からスタートしました。
法学部からIT企業に入社したわけですが、
職種としてはシステムエンジニア(SE)です。
若手の頃はプログラミングをして
年次が上がるとプロジェクトマネージャーなど
マネジメントをするようになる職種です。
とはいえ大学時代は法学部なのでIT知識はゼロ。
タイピングも情報系学部出身の同期より圧倒的に遅い状態でした。
入社直後の3か月の新人研修期間は
家でも深夜2時まで勉強し必死で食らいつきました。
研修を終えた僕が配属されたのは
時価総額〇兆円を超える親会社のシステムを一新する
予算数百億円超の大規模プロジェクトを担う部署でした。
就活時代の目論見は外れて
まったりとは程遠い超忙しい部署でした(涙)
配属後の研修ではサクサク課題を進める同期の横で
一人だけ頭を抱える僕は明らかに落ちこぼれ。
その結果
精神的にも追い詰められていき、
課題以外の簡単な業務でも凡ミスをする始末でした。
『自分は使えないやつって思われてるよな・・・
ヤバイ・・・このままじゃリストラになるかもしれない』
と危機感は募る一方でした。
そんな中他人からの評価で決定打となったのは
『お前は配属された新人の中で一番使えねえな!!!』
と先輩からバッサリと一刀両断されたことでした。
自分でも嫌というほどわかっていました。
でも実際に他人から口にされると
正面からストレートパンチを顔面にくらいノックダウンされた気分で・・・
『自分は落ちこぼれだ。使えない奴だ』
周囲から落ちこぼれのレッテルを貼られ
自らもそのレッテルを貼るところから、
配属先での日々は始まったのです。
会社滞在時間17時間。社畜生活と衝撃の〇〇
その頃の僕は
『才能は無いくせにプライドは高い』
という厄介な人間でした(笑)
先輩から使えない奴認定をされたことが
悔しくて悔しくて
『実力をつけて絶対に見返す!!!』
と強く思いました。
この時に僕の頭に浮かんだのは
高校受験の成功体験で得た価値観である
『ガムシャラに努力をすれば夢は叶う』
というものでした。
『才能のない自分は努力するしかない!』
と考えた僕は
朝5:40分発の始発に飛び乗って
朝6:15分に真っ暗な会社に到着。
フロアのロックシステムを解除し暗闇の中1人で作業。
夜はビル玄関の鍵が閉まる23:00直前まで仕事し、
ダッシュで駅へ行き23:10分発の電車に飛び乗る。
会社滞在時間は約17時間。
1日の3分の2を会社で過ごす”社畜ロード”を
自らの意志で爆走し始めてしまったのです。
使いすぎてキーボードの印字が薄くなってきた頃には
さすがに実力もついてきていました。
技術力は決して高くはありません。
僕ができるのは誠実に仕事をすることだけでした。
・聞かれた内容には必ず正確な情報を調べて返す。
・今できる最大限をやり尽くす姿勢を守り続ける。
・頼ってくれた人には最大のGiveをする
そうした姿勢を続けるうちに
部内からも客先からも
信頼してもらえるようになりました。
2年目になると、
チームリーダーや新人育成も任されるようになります。
大学のサークルでも気づいてましたが、
僕は人に教えるのがめちゃくちゃ好きなんです。
新人5名の指導を任された時は
質問の待ち行列ができる中
1人1人にしっかり時間をとり指導しました。
それを見ていた上司から
『よく嫌にならないね(笑)』
といじられたこともあります(笑)
相変わらず会社滞在は17時間近い社畜でしたが、
後輩の指導や周囲をサポートすることに対して
やりがいや楽しさを感じてました。
落ちこぼれを脱却し仕事の楽しさも感じ始め、
『少しずつ歯車がかみ合い始めた』と感じましたし、
『このまま順調にいけるんじゃないか』とも思っていました。
そんなある日。
仲の良い後輩の米一君(仮名)に
『ちょっと休憩行きません?』
と社内にあるカフェに誘われました。
どうもいつもと様子が違って元気のない米一君。
『もしかして転職の相談とかかな・・・?』
と話しにくそうな米一君の様子を見ていると
ついに米一君が口を開きました。
『けいさん、あの・・言いづらいんですが・・・。
10円ハゲできてますよ・・・!』
一瞬時が止まりました。
言葉の意味を理解できた時には
『じゅっ、えっ、はひっっっ!?』
1ミリも予想しなかった一言に奇声が出ました(笑)
『小学生の頃の母と同じ!?』
祖父母と同居を始めた頃の母の姿を思い出すと同時に
自分の身体が悲鳴を上げていることを知りました。
その日はさすがに早めに帰宅をして
働き方を改めるべきか一人悩みました。
僕には二つの道があると思いました。
1つは上司に正直に話をして
働くペースを抑えられるよう調整する道。
もう1つは若いから大丈夫と身体からのアラートを無視して
今のペースのまま全力で働き続ける道。
冷静に考えれば前者を選ぶ方がよいはずです。
でも僕は怖かった。
『働くペースを緩めたらまた落ちこぼれに戻ってしまうんじゃないか』と。
そしてまだ20代前半だったこともあり
自分の健康への過信もありました。
『若いんだから無理しても全然大丈夫』
そう思ってたんです。
少し悩んだ後に僕が出した結論は
『今まで通りでいこう!』
でした。
10円ハゲという自分の体からのアラートは完全無視。
翌日からまた社畜生活を再開したのです。
人生は有限。いつ終わるかわからないと知る悲しい出来事
その後もSEとして働き続けるわけですが
IT自体には全く興味が持てませんでした(笑)
でも、後輩に教えるのは楽しいし、
先輩やお客さんをサポートするのも楽しい。
誰かをサポートすることが唯一のやりがいで
僕はモチベーションを保てていました。
その後、年次が上がると共に責任も少しずつ増え
これまでとは違うストレスを感じてメンタルを病み
心療内科へ通った時期もあります。
しかし生活には特に大きな変化はない時期が続きました。
『このままハードな毎日を我慢しながら定年まで働いて、
平均年齢くらいまで生きる人生なのかなぁ』
そんなことを考えていた頃。
僕の価値観を大きく変える出来事が
立て続けに起きたのです・・・。
ある日唐突に届いた部内のメールを読んで
衝撃のあまり一瞬時が止まりました。
新人の頃に一緒に仕事をしていて
1年半ほど前に転職をしていた一個上の先輩が
亡くなったという内容のメールでした。
『先輩が亡くなった・・・?
ウソでしょ?
だって一年ちょっと前はあんなに元気だったじゃん・・・』
事実を受け入れることができず
一週間くらい夢なのか現実なのかよくわからない
フワフワした気持ちだったのを覚えています。
その数か月後。
他の部の30代の先輩の訃報が
社内ニュースで報じられました。
前の夜には飲み会に参加して元気だったけれど
翌朝いつもの時間には起きてこず、
心配した奥さんが見に行ったら冷たくなっていたそうです。
さらに。
久しぶりにfacebookを眺めていたら
突然丸坊主の友人の写真が目に飛び込んできました。
大学時代の友人がガンで抗がん剤を使い闘病しているとわかりました。
しかも・・・同時に2人もです。
これまで僕が経験した身近な人の死は祖父母の死だけ。
20代の自分にとって死はどこか遠い存在でした。
しかしこの一連の出来事によって
一気に死が大きな存在になり
目の前にドン!と立ちはだかったのです。
死を意識した時に
2年目の頃の10円ハゲを思い出しました。
凄く怖くなりました。
『あの時は10円ハゲですんだ。
けど、次は違うかもしれない』
そう感じたからです。
『若いから大丈夫!』
そう言い聞かせて身体からのアラートを無視。
自分の体よりも会社を優先している自分。
そんなことを続けてたら
会社のために自分を犠牲にして
早死にして人生が終わるかもしれない。
そう思ったらなんだか虚しくなりました。
と同時に現状への反発心がこみ上げてきました。
『そんな人生絶対嫌だ!
会社のための人生じゃない!
自分の人生の一部のための会社でしょ・・・?
いつの間にか逆転してるじゃん・・・
このままだと死ぬ時に絶対に後悔する。
それは絶対に嫌だ!!!』
我慢する人生なんてまっぴらごめんだと選んだ会社でしたが、
結局社畜生活を送り続けていつの間にか牙は抜けて
【会社に依存して我慢しながら給料もらって定年まで働く】
会社の先輩達と同じように
そんな人生を送ることが自分の中で当たり前になっていました。
でもこの時に大学生の頃の気持ちが蘇ってきました。
『一度しかない人生は自由に生きたい。
夢ややりたいことを全部実現したい。
後悔なんて一つもない。楽しい人生だった。
そう言って死にたい。』
社会人になって心の奥底に押さえつけていた本音が
反発心によって解放されたのです。
自分が会社に依存している原因は明らかでした。
お金です。
会社から給料をもらわなければ
生きていくことができない。
この依存状態を解決しなければ
何も変えることはできないと気づいた僕は、
この鎖を断ち切るために副業に挑戦し
自分の力で稼ぐ力をみにつけようと決めました。
副業している人なんて周りにいなかったので、
『夢見てないで働けよ(笑)』
と笑われることをしようとしているのはわかってました。
それでも僕はやる前から諦めるのが嫌でした。
何はともあれまずはやってみることにしたのです。
FXで〇〇〇万円を失う大失敗と謎のポジティブ思考
副業を始めたものの簡単には上手くいきませんでした。
最初に挑戦したFXではろくに勉強もせず
無謀なトレードを繰り返してしまいました。
結果として
お金の悩みから解放されるために始めたのに
600万円を失うという地獄のような結果に。
それでも僕は諦めようとは思いませんでした。
普通なら落ち込んで大人しくするでしょうから
今あなたに変人だと思われたかもしれません(笑)
でも、人生を変えるためならば
勉強代はいくらでも払おうと思っていたんです。
僕は決めていたんです。
絶対に人生を変えると。
だから
『このFXの失敗は次に活かす!』
と前進し続けることしか頭にありませんでした。
結婚と副業に関する致命的な問題点
それからしばらくして
1年の交際を経て妻と結婚をしました。
小4で沈黙の食卓を経験した頃から
将来結婚したら笑顔あふれる楽しい家庭を築きたい
と夢見てました。
『一度しかない人生は自由に生きたい。
夢ややりたいことを全部実現したい。
後悔なんて一つもない。楽しい人生だった。
そう言って死にたい。』
という僕の夢は妻と二人の夢に変わりました。
散歩、登山、旅行が趣味だった僕たちにとって
副業は共通の趣味の一つになりました。
副業のセミナーへ一緒に参加したり
一緒に副業に取り組むようにもなったんですね。
・不動産賃貸業
・物販
・FX(今度は億トレーダーにしっかり学びながら)
などに挑戦しました。
その結果、少しづつ副業収入は増えたんです。
しかし・・・。
致命的な問題に気づき始めてました。
副業が面白くなかったんです。
今取り組んでいる副業を
将来続けている姿が全く想像できませんでした。
『なんで面白くないんだ?』
と分析してみると答えはすぐにわかりました。
人とかかわる機会がほとんどない。
それが原因でした。
高校受験は母と祖母を喜ばせるために頑張れた。
大学のサークルは団体戦で仲間とインカレに行くために頑張れた。
会社での社畜生活は周囲のサポートを心の支えに頑張れた。
これまでの人生を振り返ってみると
僕が何かをやり遂げたり頑張った時には
必ず『他の誰かのために』という目的がありました。
『自分って人が好きなんだなぁ』
改めて自分は誰かのために何かをする時に
やる気が出るしやりがいを感じる人間だと気づいたんです。
それにも関わらず今取り組んでいる副業は
それとは正反対とも言える内容で人と関わる機会がほぼない。
それでは熱意をもって取り組み続けることが難しいのも当然だったのです。
『これじゃ将来的に本業として継続していくのは無理だな』
と思った僕は情報収集を始めました。
『自分にあった副業が無いかなぁ。
人と直接やりとりできる副業が良いな』
と情報を探していく中で
意味不明なブログにたどり着きました。
月500万円を自動で稼ぐ!?意味不明なブログとの出会い
見つけたブログでは
まだ大学生の男性が
『月500万円を自動で稼いでます』
と書いていました。
意味が全くわかりませんでした(笑)
『絶対詐欺だこれ』と思いました(笑)
しかし、
詐欺ではなかったのです。
その人がやっていたことはとてもシンプルで
論理的に納得できる内容でした。
詳細を知れば知るほどに
『これは凄いぞ・・・!』
と身体に電流が走りバクバクと心臓の音が聞こえたのを覚えています。
自分の知識や経験を文章や動画のコンテンツにする。
そしてそのコンテンツを有料で販売する
コンテンツビジネスという事業をその人はやっていました。
自分の知識や経験を商品にするので、
不動産のように借金して物件を買う必要もなければ、
物販のような商品の仕入れは不要で在庫も残りません。
経費はメルマガスタンドと
サーバー代くらいなので月数千円。
初期費用もほぼかからないし
利益率は9割を超える。
単価も自分で設定することができるので
高単価での販売も可能で稼ぎやすい。
今まで取り組んだ副業とは比べ物にならないほど
ローリスクハイリターンな事業でした。
さらに。
メルマガでお客さんと直接やりとりできるし
商品のレビューなどももらうことができる。
人と関わる副業が良いという条件もしっかり満たしていたのです。
『僕が探していたのはコンテンツビジネスだ!』
もはややらない理由が見つからず、
僕はコンテンツビジネスへの挑戦を決めたのです。
怪しい投資話に乗り再びの失敗
コンテンツビジネスを学び始めた頃、
実は怪しい投資話に乗ってしまいました。
そして友達にもその話をしたら
やってみたいと言ったので
やり方を教えてしまったんです。
その数か月後、
その投資話が詐欺だったとわかり
友達も僕も共にお金を失いました。
僕はFXで600万円を失った時でも前向きだったように
自分のお金が無くなるのは別に良かったんです。
でも友達に迷惑をかけてしまったことが
本当にショックで愚かな自分を責めました。
自己嫌悪に陥り今までに感じたことのない
後ろめたさというストレスに悩む日が続きました。
悩む中で気づいたことがあります。
僕は自分の人生を変えようと思っているのに
甘い投資話に乗り他人の力で楽をしようとした。
そもそもこの考え方が全ての原因です。
そんなに簡単に人生を変えられるなら
今頃日本人全員が幸せな人生を送ってます(笑)
この甘えた考え方を無くさない限り
またいつか同じ失敗を繰り返すのは明らか。
他人の力を借りるのは良いけど
任せきりにしてコントロールできない状態にしたり
依存してしまうのは違う。
最後に頼れるのは自分であり自分のスキルなんだ。
もうこんな話には乗らないし、
人にスキルを教えられる人になろうと思いました。
こうして僕は他の副業や投資は辞めて
コンテンツビジネス一本に絞って努力すると決めたのです。
僕はコンテンツビジネスの知識を学び
時間をかけてガムシャラに努力し続ければ
自由な人生を手に入れることができると信じていました。
子供の誕生と価値観の激変
その頃に第一子が生まれました。
少しでも力を入れたら壊れてしまいそうな
小さな小さな息子を初めて抱っこした時は
これまでの人生で一番尊い瞬間で鳥肌が立ちました。
息子が生まれてから
『妻と子供とやりたいことを全部やりたい。
子供には我慢させず何でも挑戦させたい。』
と考えるようになりました。
そのためにも
『コンテンツビジネスで金銭的な自由を手に入れたい』
という想いがますます強くなったのです。
しかし。
その想いと逆行する問題が生まれていました。
子供が生まれてきてくれた日から
何をするにも子供が一番優先になり
妻も自分も自由に使える時間が減りました。
言葉も通じない小さな人間が
突然僕と妻の生活の中心に存在する状態になったわけで、
工夫だけではどうにもならない部分があります。
子供を育てるのはこんなに大変なのかと知り
子育てと時短勤務で仕事を両立する女性社員の凄さを知り
時間に対する価値観が大きく変わる毎日でした。
そして僕は気づきます。
『これまでの人生はガムシャラに努力して
自分の才能の無さをカバーしてきた。
もし僕が今学生や独身だったならば
同じやり方でも問題ないかもしれない。
でも今の僕はそれじゃダメなんだ。』と。
どれだけ努力するかではなくて
限られた時間でどれだけ効率的に進めるか。
いかにコンテンツの量を増やすかではなくて
いかにコンテンツの質を高めるか。
この効率化や質という考え方を重視し、
戦略を練らねば成功は難しいと感じ始めたのです。
そして様々な情報やノウハウがあふれているので
色々な情報に飛びつき振り回されていたら
いつまでも目標は達成できないと感じてました。
実は僕自身も最初は戦略も何もなく
良さそうな方法に飛びついてました。
例えば
『ココナラでのコンテンツ販売が難易度が低いらしい』
と聞いた時にはすぐに挑戦してみようと思いました。
1ヶ月くらいかけて商品を作り
『頑張ったから売れるだろうなぁ』
『たくさん売れてくれ~』
なんて考えながら
販売通知がドンドン届く明るい未来をイメージして
ワクワクしながらいざ販売開始。
結果はどうなったか?
・・・
『なんで!?どうなってるの!?』
なんと、1つも売れませんでした。
設定できる最安値の1000円なのに一個も売れない。
厳しい現実が僕の前に立ちはだかったのです。
『一か月かけて作った商品でこの結果・・・?』
さすがに弱気になる自分がいました。
『このまま取り組んでいて目標の金額を稼げる?』
『もう諦めて他の副業にした方が良いんじゃない?』
心の中でそんなことをささやく
もう一人の自分に気づいていました。
『このまま闇雲に進んでも絶対にうまくいかない・・・』
僕は迷路に迷い込んだ気分でした。
迷路を抜け出し迷いなく確信を持って
目標に近づいていくための確かな戦略が
今の僕には必要だと感じていたのです。
『夢なんてないよ。このまま我慢して死ぬだけなんだから』
その頃会社の同期と飲みにいきました。
話の流れで夢の話になったんですね。
僕はその同期に何気なく
『夢ってある?』
って聞いてみたんです。
彼から返ってきた答えは
僕の想像を遥かに超えたものでした。
『夢なんて無いよ。
このまま毎日つまらない仕事に耐えて、
安い給料で生き延びていつか死ぬ。
どうせ俺の人生なんてそんなもんなんだから』
彼は冗談ではなく本気で言っていました。
10年近い付き合いですからそれは目を見ればわかります。
僕はこの言葉を聞いた時
ヘナヘナと全身の力が抜けました。
泣きそうになるくらいショックでした。
僕は夢は誰しもが持ってるものだと思ってました。
きっと彼も学生の頃は夢があったと思います。
でも毎日夜遅くまで会社で働き続けて
精一杯努力するけど給料は全く上がらない。
でも自分ではどうしようもできない。
会社で働く選択肢しか知らないから
自分でどうにか打開できるとすら思えない。
その結果、まだ30代だっていうのに
夢を持つ意味すら見いだせなくなってしまったのだと思います。
それから数日の間僕は夢について考えてました。
改めて夢のことを考えて日々過ごしてみると
『実は夢を持てない人ってめちゃくちゃ多くない?』
と感じ始めたんです。
というのも会社で周囲を見渡せば
みんな我慢する話ばっかりしていました。
・お小遣いが少ないけど我慢。
・上司に理不尽なこと言われてばかりだけど我慢。
・給料が下げられたけど我慢。
・残業ばかりで家に居場所がなくなってきたけど我慢。
先輩とかにも夢の話を聞いてみる中で
夢なんて持てない。
人生とは我慢するものだ。
そう思っている人が多いなと感じたんです。
そういった話を聞く中で
夢が持てない世の中なんておかしくない?
僕はそう感じました。
僕はそんな世の中嫌だと思いました。
自分が我慢するのも
大好きな家族や同僚が我慢するのも嫌でした。
『夢なんかない』って言った同僚にも
夢を持って人生を楽しんで欲しいと思いました。
仲の良い先輩達にも何歳であっても
夢を持って欲しいと思ったんです。
そして何よりも、
生まれたばかりの息子には
夢を持ち楽しい人生を生きて欲しいと思いました。
でも、夢を持てるような人生を手に入れる方法は
普通に会社員として働いていてもわからないんですよね。
息子も世の中の当たり前に従って生きていったら
夢を持てない人生を送ることになると思いました。
だから僕が教えられるようになろうと思いました。
会社に依存して我慢し続ける人生ではなくて
自分の力で自分の歩みたい道を歩いていける人生を。
何歳であっても夢を持てる自由な人生を
コンテンツビジネスによって実現する方法を
僕が人に教えられるようになろうと思ったんです。
とはいえ、
まだ僕には実力もスキルも足りなすぎました。
学ばなければならない。
しかも限られた時間で効率的に結果を出し続ける方法を。
僕は色々な発信者のコンテンツを読み
自分が学ぶべき発信者を探し続けます。
色々な発信者がいました。
『煽って稼げれば良い。売った後のことは知らん』
という雰囲気の人も数多くいました。
もちろんそういうやり方でも一時的に売上はあがります。
でも僕はそういうやり方は気が進まないというか
絶対にできないと思いました。
詐欺に合った時自分の被害よりも
友達に被害を与えてしまったストレスの方が
何十倍も大きかった人間です。
お金のために自分の信念に反する行動をしてしまったら
例えお金が手に入ったとしても逆に辛い人生になるし
妻と息子に合わせる顔がなくなると思いました。
『そんな生き方はしたくない!!!』
これが僕の本心だったんです。
『お金のために自分の体を犠牲にして
会社に尽くす人生から脱却する。』
そう考えている人間が
『お金のために魂を売って
心と他人を犠牲にしてでもお金にしがみつくぞ』
とか言っていたら意味がわからないですもん。
それなら会社員のまま身体を犠牲にしてる人生の方がまだましです。
僕は自分もお客さんも笑顔になれて
妻にも息子にも胸を張れるようなコンテンツビジネスをして
稼げるようになりたいと思いました。
でもそのやり方がわからない・・・。
僕は引き続き自分の理想とするコンテンツビジネスをしている発信者を探し続けたのです。
人生を変える偶然の出会い
そうして色々な発信者を見ている中で
ある日、運命的な出会いに恵まれました。
ある商品を買ってみると5万文字(原稿用紙125枚分)ほどあって
読むのに時間がかかりましたが夢中で読み進めていました。
ようやく読み終えた時。
僕は衝撃を隠せず冷静さを失っていました。
『この人凄すぎる・・・。
こんなに密度が濃いコンテンツ初めて読んだし
めちゃくちゃ面白い!!!
それになんというか暖かい文章だ・・・。
優しく寄り添いながら
強く引っ張ってくれるようなそんな感覚。
お金を稼ぐためじゃなくて
読者を幸せにしたいという気持ちが
文章からあふれ出してる!』
雷に打たれたような気分でした。
コンテンツビジネスに出会ってから
約8か月ほど経っていました。
その中でこんなに感情が動いたコンテンツは初めてで
『僕もこういうコンテンツを作りたい!!!!!』
と自分の中からエネルギーが湧き上がるのを感じました。
僕が探していたのはこの方だと思いました。
これがメンターとの出会いです。
メンターとの出会いをきっかけに
自分がやりたいコンテンツビジネス像が
ハッキリと見えてきました。
『この人は僕に足りないものを持っている。
この人から学んでみたい・・・!!!』
そう感じた僕は今まで学んできたことに固執するのをやめて
メンターからまた一から学ばせて頂こうと決めました。
メンターから月収2000万円マインドを学ぶ
メンターから学び始めて、
僕の中にはいくつかの土台となるマインドが
叩き込まれました。
・ビジネスの目的は顧客と自分の幸福の最大化
・絶対に相手のためになる商品を首根っこ掴んででも売るんだよ
・自分についてきてくれたら絶対に人生を楽しくする。それくらいの覚悟でビジネスする。
というマインド達です。
メンターがこういったマインドをもって
ビジネスに取り組んでいると知った時、
僕は泣きそうになりました。
覚悟の違い。
コンテンツビジネスに取り組む上での
自分の覚悟の甘さに気づかされたからです。
僕はその頃自分が稼ぐことが一番大事でした。
お客さんの幸福を最大化しようなんて思っていなかったのです。
そんな覚悟でお客さんの人生を良い方向に変えられるわけがありませんでした。
お客さん一人一人にも大切な人生があります。
たくさんの苦労を乗り越えて今がある。
そして未来を変えるためお金を払ってまで
前に進もうとしている人達を相手に
僕はビジネスをしていくわけです。
そんなお客さんに価値を提供したいと思うのならば
僕もそれだけの覚悟を持たないといけなかった。
口では『お客さんに価値提供』と言いながら
本音は『自分と家族のためにお金を稼げればいい。』
そんな自分本位の考えで
本音と行動が合っていなかったと猛烈に反省しました。
この時だったと思います。
僕の中で覚悟ができたのは。
お客さんの幸せを心から願い
お客さんの人生に良い影響を与えるために
コンテンツを作る覚悟です。
コンテンツビジネスに取り組む上で
最も大切なマインドを教えてもらい、
僕の中で足りなかったピースが1つずつ埋まっていく感覚がありました。
何かが大きく変わり始めている。
そう感じていました。
学びを経て再度ココナラで販売してみたら待っていた衝撃的な激変!
その後新商品を作成し
再びココナラで販売してみることにしました。
1000円で1つも売れなかった闇歴史を思い出し
緊張しながら販売を開始・・・。
僕を待ち受けていたのは衝撃の結果でした。
販売開始してすぐに販売通知メールで受信ボックスが埋め尽くされました。
その後も1日に数件売れることもありました。
朝目覚めてスマホを見たら
『おっ、売れてる』
と数万円分売れていることもありました。
需要に応じて価格を少しづつ上げていき、
気づけば日収5.8万円や日収6.4万円を達成。
結果が出なかった頃が嘘のように
継続して売上が上がり続けるようになりました。
そして嬉しかったのは購入者の方々から
熱量あるレビューが次々届いたことでした。
これらのレビューが届くようになって
『お客さんの人生に少しでも貢献できた』
そう感じました。
会社の業務のサポートとか小さいものではなく
人生に対するサポートができた気がしたんです。
自分の魂がカッと熱くなるのを感じました。
お客さんの人生を良い方向に変えるコンテンツを提供して
理想の人生に近づくきっかけを提供する。
自分はその対価として金銭的報酬と、
お客さんの喜びの声という精神的報酬を受け取る。
お客さんと自分がWINWINの関係となっていて
双方が幸せになっていると感じました。
『コンテンツビジネスって
こんなに素晴らしいものだったのか!!!』
これまでの副業とは比べ物にならない楽しさを感じましたし、
これなら長く続けられると感じました。
その後、
フォロワー900人の状態で2000万円以上の月商達成という
異次元の実績を作ったメンターからは
・作業量やフォロワー数に頼らず、密度を上げてレバレッジを効かせるマーケティングの原理原則。
・最小作業量で完成する高密度のDRMの仕組化のノウハウの全て
を学びました。
メンターから学ぶ中で
『コンテンツビジネスは
お金を稼ぐ手段に留まるものではない。
もっと遥かに大きく人生を豊かにする可能性を持つものだ』
と知りました。
その可能性を活かす上で一番大切なことは自分の心に向き合うこと。
自分の心に反することを発信したり
自分を無理に大きく見せようとしても上手くいきません。
まずは自分を知り自分を認めて信じる。
出典:リアル
その上で自分が
どんな人生を送りたいのか
どうありたいのか本音を知る。
出典:BLEACH
そこを明確にできたならば
その人生を実現すると覚悟を決める。
そしてゴールから逆算して
自分のコンテンツビジネスの設計図を作る。
お客さんの幸せを願い本音の想いを込めながら
設計図に沿ってコンテンツを作っていけば
最小作業量・最短ルートで効率的に目標達成できる。
年齢とか今スキルがあるかないかは関係ない。
遅すぎることなんてないし、
やると決めれば夢は叶えられる。
出典:1/11 じゅういちぶんのいち
メンターからはそういった
全体を俯瞰した捉え方や
情報発信と人生を統合する考え方なども学びました。
土台となる考え方を学んだことで
これまで学んだ点と点の知識も一気に線として繋がりました。
その結果、生み出すコンテンツの質も密度も変わりました。
フォロワー60人の状態で
Brainでライティングの商品を販売すると
総合ランキング3位を獲得。
その後も複数の商品を販売して
4カ月間で累計300部を販売。
毎回購入して下さるお客さんもいらっしゃるなど
コンテンツの中身で信頼を得られるようになりました。
お客さんから暖かい感想を頂くと
お客さんの人生に貢献する幸福感とやりがいを感じます。
お客さんと直接やりとりをするようになって
新たな夢も増えました。
その夢の実現に直結する企画を
発信開始5か月目に販売すると
月収100万円を突破しました。
僕を信じて参加してくれたメンバーが
それぞれの理想の人生に近づいていけるよう
これからも覚悟をもってサポートしていきます。
誠実に自由を手に入れる
長い物語を読んで下さりありがとうございました。
この記事も間もなく終わりです。
このブログのコンセプトは
【誠実】と【自由】です。
【誠実】に生きるということは
まさに僕の生きたい人生です。
そしてコンテンツビジネスにおいても
誠実にお客さんに向き合うことが
一番大切なことだと思っています。
これは僕の経験からも確信していることで
ココナラで1件も売れなかった時は
お金のことばかり考えていました。
しかしココナラで結果が出るようになり
このけいというアカウントで発信している今では
正直お金のことはあまり考えていません。
『お客さんの人生に貢献しよう』
『どうすればもっとわかりやすくなるかな』
などお客さんのことばかり考えています。
稼ぎたいからコンテンツビジネス始めたんだから
お金のことばかり考えてしまうのは普通のことです。
でもその前に持つべきものがあります。
『お客さんの幸せに貢献しよう』
という誠実な想いです。
この想いを持ちながら
誠実にコンテンツビジネスに取り組んでいけば
お金は当たり前のように稼げるようになります。
小手先のテクニックに流されたり
お金のために自分の心に反する発信はしない。
自分の子供や妻に対して1ミリも後ろめたさのない
誠実なコンテンツビジネスを僕は継続していきますし
あなたにもお伝えしていきたいと思ってます。
【自由】は僕の人生における永遠のテーマです。
中学入学早々に束縛されるストレスが嫌で
自由な高校を目指した頃から
自由に生きたいという想いは変わりません。
でも社会に出て会社員になってから
自由に生きることの障壁の多さを知りました。
・給料だけに頼っていては経済的な自由は得られない
・雇われの身で労働を提供する以上は時間の自由は得られない
・苦手な人とも一緒に仕事をする以上は精神的な自由は得られない
人生を豊かにする上で必要な
①経済②時間③精神
の3つの自由を得るには、
今の世の中の当たり前の生き方である
会社員では到底叶えることができません。
会社員のままだと選択肢が少なすぎるんですよね。
でも、一歩会社の外に出てみると
自由に生きている人はいます。
多くの場合それは経営者です。
そしてコンテンツビジネスという事業を通じて
自由な生き方を実現している経営者も
もう数えきれないほどいます。
現代社会において自由な人生を手に入れるために
一番簡単で再現性の高い事業は
コンテンツビジネスだと確信しています。
だから僕はコンテンツビジネスを通じて
自由な生き方を体現していきます。
そしてその方法をあなたにも伝えていきたいのです。
身近な先輩の死も経験したことで
人生はいつ終わるかもわからないと痛感しました。
いつ終わるかわからない一度切りの人生は
我慢し続けて終わるべきではないと思っています。
『夢を持ち人生を自由で後悔のない最高の旅にする』
そんな人生を一人でも多くの人に送って欲しいと思ってます。
世の中の当たり前に従うのは楽です。
誰かの敷いてくれた道を進むのは簡単ですから。
でも自分が楽しいと感じる道を
自由に歩める人生を送る方が楽しいし
死ぬときに後悔は少ないはずです。
出典:ドラえもん
誰にも束縛されず。
何も我慢することなく。
心は解放されていて豊かであり続ける。
きっと誰しもが心の奥底で感じている
自由に生きたいという想いを大切にして欲しいです。
あなたはどんな人生を生きたいでしょうか。
その本心に蓋をして隠す必要は全くありません。
コンテンツビジネスに誠実に取り組み続ければ
あなたの望む人生は手に入ります。
今既に行動をしているけれど
思うように結果が出ずに悩んでいる人もいると思います。
でも何も恥じることありません。
結果の出ている他人と比べる必要もないです。
行動を続ける。
それが何よりも難しいこと。
あなたなら大丈夫。必ず成功できます。
だってあなたは行動を続けている。
この長い記事も
『何か人生を変えるヒントがあるかもしれない』
と思って忙しい中で読んでくれたんですよね。
それだけでも凄いことだと思います。
世の中の大多数の人はこんな長い記事読まないです。
そんな努力家のあなたはめちゃくちゃ凄いしかっこいいです。
僕はそういうあなたの味方でいたい。
そして自由な人生を望むけれど
どうすれば良いのかわからず悩んでいる人に、
人生を良い方向に変えるきっかけを提供していきたいし
安心して努力できる場や環境を提供したい。
今何歳であっても。
夜遅くまで残業していたり、
育児に追われていたり
今どんな環境にいても。
夢を持ち誠実にビジネスを長く続けて
人生を自由で後悔のない最高の旅にする。
このように誠実と自由というコンセプトで
僕はコンテンツビジネスに関する情報を発信していきます。
特に夜遅くまで残業に追われる会社員の方や
子育て中で時間の自由が利かないママ・パパに向けて
最小の作業量で最大の結果を出す
コンテンツビジネス効率化戦略を
わかりやすくお伝えしていきますね。
自分にもお客さんにも誠実に向き合い
お客さんの幸せに貢献しながら
自分も自由に幸せに生きていく。
そんな人生を実現するための知恵と知識を
これからあなたにお伝えしていきます。
また他の記事やコンテンツの中で
あなたにお会いできるのを楽しみにしています。
長い物語を最後まで読んで下さりありがとうございました。
けい
P.S.
コンテンツビジネスを始める上で
最初の一歩を確信を持って踏み出せる
5ステップ講座を無料で配布中です。
『数万円の価値がある!』
という感想も多数届いている講座です。
詳細はコチラの記事をご覧になってみて下さい。
それでは、ありがとうございました。
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